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竜の章第二話:現れる者たち
幸屋寺本殿。寺であるなら、本来あるはずである仏像がない。その代わりに、巨大な鏡が奉られている不思議な場所。
その巨大な鏡の前で、一人の作務衣を着た男性が座禅を組んでいた。
男性は目を開く。何かが近づいてきたことに、気が付いたようだ。

「あいにくですが、本日は油揚げが品切れなのです。買い出しを頼もうにも、桜花は今、外出中ですよ」
「おお、実に気が利かぬではないか、柳仙殿。妾の好物が無いとは」

どこからともなく現れたのは、頭頂に狐の耳を生やした妖艶な女性だった。見た目から年齢を図ることは出来ないが、その妖艶さはあまたの男性を魅了してきたことだろう。
その絶世の美女を目の前にして、男性―柳仙は柔和な笑みを浮かべたまま、微動だにしない。興味が無いというわけではないが、女性に魅了されているという気配は一切なかった。

「妾の魅了の呪も、そなたには通じぬのだな。全く、つまらぬわ」
「当然ですよ、朔夜様。私の心を全て奪っていった女性は、桜花以外誰も居ないのですから」
「惚気と言うやつか…。ふん、下らぬ」
「むしろ、まだ私に気があったことに驚きですよ。かつてのような霊力も、もう私には備わっていません。貴方を鎮めた黒鐘家当主、黒鐘柳仙は消えたのです」

静かに言葉を連ねる柳仙。
彼の言葉が真実なのか、目を細める妖狐―朔夜。
何度彼を見つめても、彼の言葉に偽りなどなかった。かつてこの地上で暴虐の限りを尽くした自分自身を止めた、かつての黒鐘家当主の姿は、もうどこにもなかった。

「…………、そのようじゃのぅ。そなた、以前と比べてあの全てに斬りかかるような殺気を感じぬ。あの小娘に牙を抜かれたか」

その言葉に織り込まれているのは、一抹の寂しさだった。
自分を止めた猛者が、もはやただの人であることに、朔夜は言い様の無い寂しさを覚えていたのだ。

「もう私は、武器を持たない。そう決めたのです。守るべきものがあるのなら、私は私の持てる力を、全て大切なものを守るために使いたい。そう望んだ結果なのです」
「妾の気持ちも考えずに、か…」
「あなたの気持ちは知っていますよ。ですが、私にはすでに桜花が居ました。そして、私の息子も…」

息子。その言葉を口にした柳仙は、酷く申し訳なさそうな顔をしていた
柳仙の表情を見て、朔夜は苦笑いをする。

「柳仙殿よ。そなたの息子は、今も元気に暮らしておる。彼の槍における才は、天界随一よ。鍛え抜けば、あの小娘ですら足元に及ばないほどの腕になるじゃろう」
「皮肉ですね。霊力も魔力もない我が息子が、槍においてはそれほどの才があるとは。朔夜様に預けて正解だったかもしれません」

柳仙の言葉に、朔夜の眉が吊り上る。その瞳には、底知れぬ怒りが満ちていた。それに連動するように、隠していた尾が現れる。

「何を愚かなことを…。息子は本来ならば当主であるそなたが育てるべきであったというのに。すでにそなたの息子の記憶は操作しておる。絶対に解けぬ封印を施してな。そなたら夫婦には、何があろうとも会わせぬ。下らぬ家の騒動に巻き込みおって…!」

その美麗な顔が歪み、悪鬼のような表情を見せる朔夜。
生まれて間もない柳仙の息子を引き取った彼女は、彼と共に居るうちに自分の息子のように思うようになった。
最初は柳仙と桜花の子供であることに怒りを覚えていたが、朔夜にも娘が生まれ、その感情が消えていた。
ゆえに、柳仙の無神経とも取れるその発言に、朔夜はその怒りを剥き出しにしていた。
その朔夜の表情を見て、柳仙は自分が父親失格であるとともに、自分の選択は間違いではなかったと安堵を覚えていた。

「そなた、妾が寺子屋か何かだと思っておるのではなかろうな。そなたの息子だからこそ、妾は引き受けたのだ。どこの馬の骨とも知らぬ者の子など、誰が育てるものか」
「…、確かに私達の不徳の致すところですね。それでも、朔夜様には感謝しております。本来ならば、間引けとまで言われていた子ですから」
「下らぬ。このようなことがあるのならば、真っ先に幸屋を滅ぼすべきであったわ。魔力か霊力が備わってなくてはならないなど、実に下らぬ。それを外野が騒ぐのだから、もっと下らん。柳仙殿がそう言うならまだしも、な」
「…返す言葉もございません」

朔夜の剣幕に、痛みをこらえるような表情を見せる柳仙。
仮に柳仙の息子を天界に送らず、幸屋で育てていたとしたら、家族として共に暮らせていたのではないだろうか。
そのようなことを考えても、今ではただの夢想に過ぎない。柳仙は即座に自分の夢想を打ち切った。
一方の朔夜は、未だ怒り冷めやらぬと言った感じで柳仙を睨みつけている。だが、あることを思い出し、その表情を平静なものへと変えた。

「話を変えよう。そなた、魔竜洞の異変は知っておるな?」
「ええ。今頃、桜花がその調査に向かっているはずですよ」
「はっ、あの小娘が向かったのか。妾が出向く必要もないか。まぁよい。お前たちが伝承と思っているもの、あれは事実よ」
「…と、言いますと?」

神妙な顔をして話を続ける朔夜に、ある予感を以て柳仙は訊ねる。

「魔竜は実在する。そして、奴はもうすぐ復活する。ルミナシアへの怒りをまき散らして、全てを焦土に変えるためにな」
「ただの伝承ではありませんでしたか…」
「当たり前じゃ。かつては妾と地上の覇権を争って戦ったこともあったぞ」
「あ、そこから先は嘘ですね?」

ドヤ顔で話を続ける朔夜に、彼女の悪癖だと気付いた柳仙はあっさりと嘘を指摘する。
話を持っていることを指摘された朔夜は、むくれたような顔で柳仙を見た。

「なんじゃ、詰まらん奴じゃのう」
「いつもいつも聞かされていますからね。おかげでその日の桜花の機嫌と言ったら…」
「ふん、ガサツな小娘よ。妾ならそのようなことはないというのに」
「代わりに、私が夜な夜な干からびることになるでしょうけどね」
「そ、そなたが何を言っているのか、妾には分からんのぅ」

柳仙の生ぬるい微笑みを見て、朔夜は冷や汗をかきながら視線を逸らす。

「さてと、大分話し込んでしまいましたね。先ほどの音からして、桜花がまた境内に大穴か何かを空けているでしょうから、その片づけをしてきます」
「ふむ。ならば、妾もお開きにするとしよう。さて、この後は何をするとしようか…」
「何をなされるのですか?」
「さてのぅ。どこへ行くかは、妾の勝手じゃ」

冷ややかな笑みを浮かべながら、朔夜はその場から姿を消した。後に残るのは、無数の木の葉だけだった。
柳仙は再び座禅を組み、瞑目する。朔夜との話で、かつての自分が内側で叫び声をあげていた。
もう一度刀を取り、全てを斬り潰せ。黒鐘の当主として、魔物や妖怪変化を斬り倒す魔人として戦え、と。
震えだす手に力を入れ、柳仙はゆっくりと心を鎮め、無の境地へと入っていった。



「山一つくりぬいた、とか冗談じゃなかったのね」
「まあ、冗談だったら伝承にも残らないだろうよ」

魔竜洞。それは山一つくりぬいて作りだされた、巨大な洞窟である。入口はまるで、竜が口を開いているかのような形をしていた。
入口から吹き出すのは、まるで竜の吐息のような邪悪な気配を纏った生温い風だった。
生温い風は、何となく生臭いと錯覚させるほど、不気味なものだ。

「この風…、邪気だけじゃないわね。恨みの念や怒りの念がこもってる…」
「なーるほどね。何となく、心地いいと思ったのはそういうことか」
「やっぱり、半分魔族とか妖怪の類だからかしら?」

そう言ってサイファーに向かって、鋭い視線を送る桜花。
桜花から送られる鋭い視線を、サイファーは涼しい顔で受け流す。

「あーのね、確かに俺達は半分妖怪や魔物だけど、人間に害をなすつもりなんか一切ないんだぜ? つか、害をなす気だったら、お前にルフレを預けたりしねぇよ。それに、玲牙を化け狐の所に送れって言ったのは、俺だぞ?」
「その件に関しては、感謝してる。あんたの言葉が無かったら、今頃私の息子は生きていないかも知れないもの。で…」
「ぅん?」
「囲まれたわね。あんたの時と同じだけど」

桜花の鋼のような声に、サイファーは周囲を見回す。なんと二人を取り囲むように、無数のグール達がどこからともなく現れていた。
グールの放つ死臭に、サイファーは不快そうに顔を歪める。一方の桜花は、魔物討伐で慣れているのか、一切表情を変えることはなかった。

「確かに、同じシチュエーションだな」
「面倒ねぇ。こいつら弱いけど、数だけは馬鹿みたいに湧いてくるし…」
「それじゃあ、俺の出番だな」

サイファーは精神を集中すると、自身の影がうごめき、グール達の影へと疾走する。
グール達の影に到達したサイファーの影は、一瞬にして相手の影へと同化する。すると不思議なことに、グール達の動きが完全に停止した。

「シャドウバインド。影術の基礎中の基礎にして、俺の得意技だ。こいつら位なら、桜花といちゃついていても指一本動かさせんよ。って、どぉわっ!?」
「だったら、その影すら残さずあんたを微塵切りにしてあげるわ。でも、助かるわ。この数だったら、私ひとりじゃ正直面倒だもの」

抜く手すら見せない神速の抜刀術が、動きを止められたグール達を切り刻む。そのついでとばかりに、サイファーの首筋目がけて桜花の刀が走る。
体を逸らして、桜花の剣閃を避けるサイファー。あの一撃が当たっていたら、間違いなく首と体が泣き別れをしていたことだろう。

「まあ、冗談が過ぎた。今終わらせるから、これで勘弁してくれ。インサイドスパイク!」

次の瞬間、動きを止めていたグール達の体から無数の黒い刃が生える。どうやらそれは、体内から現れたようだ。
体の内側からハリネズミのような姿になるという、あまりの異様な光景に、桜花は持っている刀を地面に落としていた。
サイファーは無表情で術を解除すると、蜂の巣になったグール達は全員その場に崩れ落ちた。

「何…よ、これ…!? どうしてこんなものがあるのよ!」
「ああ、そうか。桜花はルフレの攻撃的な術しか知らないんだったな。俺の影術は、どちらか言えば暗殺向きだ。それよりも、何を驚いているんだ。魔物の倒し方の違いというだけだろう」
「そうね、そうなんだけど…。どうして旦那様を襲った魔物と同じような術を使うのかってね…」

自分でも驚くくらいの動揺を見せた桜花。すぐに落とした刀を拾うと、鞘に納めた。
普段なら冗談を飛ばすサイファーも、今回は何一つ冗談を飛ばさない。それどころか、仏頂面になっていた。
不審に思った桜花が、彼に声をかける。

「どうしたの?」
「面倒な奴が来た」
「どういう…っ!?」

訊ねようとした瞬間、サイファー目がけてどこからか飛来してきた黒い刃が襲い掛かる。
サイファーは、飛来してくる刃を腕の一振りでかき消す。それどころか、同じような黒い刃を飛んできた方向へと飛ばす。
飛ばした刃は、ある程度の所まで疾走するが、忽然とその姿を消す。

「出てこい、クソ野郎。人のデートを邪魔しやがって」
「クソ野郎とはご挨拶だな、臆病者。姑息な術でしか戦えないくせに」
14/11/22 23:58更新 / レイガ
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